NHK党立花孝志の経歴がやばすぎる!

政治経済

 革新的な言動で世間の注目を集め続けているNHK党の党首・立花孝志さん。その率直で歯に衣着せぬ発言や、これまでの政界の常識にとらわれない独自の活動スタイルによって、多くの支持と同時に議論も巻き起こしています。

そんな立花さんの経歴を調べてみると、非常にユニークで波乱万丈な人生を歩んできたことがわかりました。

プロフィール

1967年に大阪府の泉大津市に生まれ、助松団地で育ちました。両親は離婚し、父と姉との3人暮らしになり、生活は厳しかったそうです。また、姉から虐待を受けていたそうです。

このような事情から、小学校5年生から新聞配達をして家計を助けていました。

子供の頃は「たっちん」というあだ名で呼ばれていたそうです。

高校は大阪府立信太高等学校で、同校の第1期生だったそうです。就職が難しい状況のなか、進学も考えていたところ、進路指導の先生がNHKの採用枠を紹介してくれたため、それを受験することになりました。

また、その当時からNHKの受信料を支払っていなかったようです。

NHKの職員時代

1986年4月にNHKに就職し、和歌山放送局庶務部に配属されました。

その後、異動を繰り返し、当時のNHK会長である海老沢勝二のカバン持ちをしたり、裏金作りを担当していたそうです。

裏金といっても、もともとは数百円程度のタクシー代や、備品が紛失・破損した際の対応費など、毎回帳簿に記載するには手間がかかるような小さな出費を、便宜的に裏金として処理していたに過ぎませんでした。

しかし、NHK職員による、裏金の扱いが次第にエスカレートし、私利私欲のために使われるようになってしまいました。その結果、金額も大きくなり、最終的には週刊文春に報じられて大きな問題になってしまったのです。

その後、NHKの不正を内部告発し2005年に依願退職しました。

約20年間職員として働きました。

NHKを退職

パチプロとして、手取りで1,500万円から2,000万円ほどの収入があり、NHK時代よりも稼いでいたそうです。

また、NHKの改革を目指して2009年の衆議院選挙では民主党を応援していましたが、結局実現されませんでした。

2011年に「立花孝志ひとり放送局」を開始し、2012年に株式会社化しました。この事業では、NHK受信料を巡ってNHKに対する裁判を請け負っているそうです。

また、スカイツリーの誕生によって、NHKのスクランブル放送が実現されると考えていましたが、全く実現される様子がないため自ら政党を立ち上げることを決意しました。

「NHKから国民を守る党」を結成

2013年6月に「NHK受信料不払い党」を作りましたが、同年7月に「NHKから国民を守る党」に変更しました。

船橋市議会議員選挙や、葛飾区議会議員選挙で当選するなど徐々に力をつけ、2019年7月の第25回参議院議員通常選挙比例区で当選し、同時に政党要件も満たし国政政党となりました。

まとめ

 立花孝志さんは、これまでの常識や枠組みにとらわれない、現代日本における新しいタイプの政治リーダーとしての存在感を示しています。今後どのような行動を起こしていくのか、多くの人が注目しています。

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